相変わらず新人研修で疲労困憊している。
週明け締めだけどそれ終わったら新人一人さよならして、暫くも新人来ないだろうからたすかる~…でも最少人数ではない=多少余裕がある状態だから私の仕事は多分減るけど。仕事してないと自己肯定感も下がるので多分私めちゃくちゃヘラる、それはそれでやばい。辞めたい熱高まるかもしれないけど首相変わって株価も下がってるし情勢見ないと…の気持ちにもなっており…。
というわけで金曜夜ふかしして土曜にめちゃくちゃ寝た。起きたら昼過ぎだったのでえっちら支度して新宿のAfternoontea love&tableへ。期間限定のチョコバナナミルクレープがめちゃくちゃ美味しかったのでまた食べようと思って行ったのだが、何と並び始めた時点で「あと4個です…」と言われてショックだったが何とかギリギリ残っていて食べられてよかった!!本当に良かった…。並び始めた時点で私の前に6組くらいいて、でも表参道の店舗は雨の中並ぶことになるしあっちも残ってるかどうか…というところだったので。
生クリームだしバナナもたっぷり、チョコとアーモンドの食感がとてもおいしくて最高。レギュラーメニューにしてほしい。
一食目が17時だったので腹も空かず、何も食べる気にならなかったのでそのまま帰ったが、帰宅するなり腹が減るというこの、矛盾。卵かけごはんをかきこんだ。
本日同居人が本家の法事で島根に行っており、迎えの車を出すことになっていたので、そわそわしながら夜を過ごす。私は旅行の時くらいしかハンドルを握らないので、高速は得意だが一般道がからきしだし親を助手席に乗せていないと運転したことがない。つまり一人で車に乗るのが苦手なのだ、が、羽田から自宅方面まで戻るバスは絶妙に自宅最寄駅からは遠いため、バス下車後にまた乗換をしなければならないのである。
しかも下車場所によっては自家用車で10分くらいの距離を、バスと電車で迂回しまくって30分くらいかかってしまうところもあるので、そうなると私が運転して迎えに行った方が家人がラクなのはとても理解できる。私もよく迎えに来てもらっているし。だが、ひとりで、運転…………。
だが今後両親が高齢になった時、病院の送り迎えなどで私が運転しなければならなくなるタイミングはきっとある。なら今のうちに練習しておいた方がいい。というか一人で運転できれば単純に国内旅行の幅も広がるし。という訳で、頑張って一人で車の運転を買って出た、片道だけ。
でもめ~~~ちゃくちゃ緊張した…。音楽懸けていても聞く余裕があんまりないし、助手席に乗っている時と運転する時で道の見え方が違うから「あれ?ここで曲がるんだっけ?あれ?」「あれ?こっちの車線でいいんだっけ?」などとすぐ不安になってしまい、運転しながら吐きそうだった。
でもなんとか家人を拾えたし、家人にも感謝してもらえてよかった。
余談だが、私は中学受験をしていた頃、塾が自宅最寄駅から3駅ほど離れたところにあった。塾は学校が終わった後にもあったので、親にお弁当を作ってもらったり、夜道は危ないからと駅まで送り迎えをしてもらっていた。
当時は何とも思わなかったが、親、というか母は、私(と3歳違いの兄)をしょうみ6年間毎日送り迎えしてくれていたんだなあ~と思うとめちゃくちゃ感謝である…。子供のごはん三食作って、塾の送り迎えして、掃除洗濯含め家事もすべて母が単独でこなして、何なら私と兄の勉強も教えてくれていた。母は理系なので、さんすうとか。私が小学生の頃はパートもしていたし。母強し。
私が子供を産まないことにしているのも、母の「母としての姿」を見てきたから、こんなに子供ファーストにはできないなあと思ってしまうのも、正直ある。母は働いていても子供の食事を三食きっちり作る人で、そりゃお惣菜の日もあったけれど、職場の飲み会で夜に食卓を一緒に囲めない日は必ずカレーなどを作り置いてくれるなど、子供の食事を常に気に懸けてくれていた。小学校の時は給食だったけれど、夕食代わりの塾の弁当やら夏期講習中の昼食も毎日作ってくれていたし、お金だけを渡されて「コンビニで買ってきて勝手に食べなさい」みたいなことを言われたことは多分ほとんどない。少なくともその記憶はない。
家に帰れば必ずごはんがあって、小腹がすいたらおやつもあって、掃除された綺麗な家があって、毎日きれいに洗濯された服があった。私は大学まで洗濯機の回し方も知らなかった。中学から大学まで私立に通い、中学受験・大学受験のための塾にも年単位で行かせてもらって、それでいて学費の心配をした事もない。大学受験のころは特に、センター利用もいっぱいしたし(全部落ちた)滑り止めも沢山受けさせてもらった。一校いくらなんて考えてもなかった、当然のように十校くらい受けていた。入学金や年間授業料がいくらなのかもわからなかったし、奨学金ももらっていない。記憶はないけれど小学校低学年までに海外旅行は二度ほど行って、国内旅行は数年に一度色々行ったし、毎年夏休みには祖父母のいる大阪に帰省していた。クリスマスなどイベント日にはホテルでディナーを食べたりもした。大きな病気をした事もなく、持病もない。父親はASDのクソだが、条件的にはかなりいい家庭に生まれたと、本当に思う。恵まれている。有難いことだと思う。
私は大学頃から舞台俳優のオタクをして、給料全額趣味につぎ込むだの、ツアーでほぼ全国駆け回るだの、そういう趣味に全振りの人間だし、ASDゆえに一度やりたくなったことはやらないと気が済まない人だから、子供を産んで子供優先に動ける自信が全然ない。そもそも万一パートナーを作ったとしても子供が成人するまで一緒に居られる自信もない。一度パートナーを嫌いになったらとことん嫌いになるから絶対別れるから子供産んでもいいけど親権ごとあげたい。でも相手を信用もしてないから女の子を産んだら性的虐待されちゃうよ~~と思って多分気が気じゃないし、でもひとりで育てられる自信もないし。だからそもそも産まないことに決めた。子供を産みたいのは親のエゴ。私は生まれてきたくなかったと思って今迄生きてきて、生きていてよかったとも別に思わないし、早く死ねるなら今すぐ死にたいと思っている、その勇気がないだけで。だからそんな苦行を子供に強いるつもりもない。もし同じASDに生まれて来たらと思うと恐ろしいし、更にもっと重い身体・精神的な障害をもって産んでしまったら産んでしまった時点で私は自分を責めて衝動的な行動に出てしまうに違いない。子供にモラハラを働かない自信もない。子供を産むなら子供が生きてきてよかったと思えるような環境を整えてあげるべきだ、それが生まれて来たいと思っていない子供の意志に関わらず産んでしまった親の責任だと思うから。子供の希望を叶えて上げること、それでいて子供が社会に迷惑をかけない社会性を身に着けさせ、自立させること。どちらも無理。子供を可愛いと思う気持ちはある、でもそれは他人の子供を一瞬愛でるだけでいい。毎日毎秒一緒にいて、子供に手を挙げない自信がない。
私のところに生まれてきてしまった子供は、想像するだにかわいそうだ。不幸な子供だ。だと思うなら、産まないでいてあげることが優しさだし、私の子供にできる唯一の愛情だと思っている。
私は私が生きていくだけで精一杯なのだ、例え世間から親から親族から後ろ指を指されようと、子供を産まないという決意だけは曲げることはないと思う。私なんかが親の家に生まれたらそれだけで親ガチャ失敗だ。生まれてくる前からそのことに気付けた理性のある親でよかったね、生まれてくることもない、私のこども。